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≪佃煮の由来≫

徳川幕府は江戸開府の折り、大阪冬の陣・夏の陣に徳川方に味方せし恩賞に依り、江戸に於ける河・海の漁業を攝津國西成郡佃村(現在の大阪市淀川区佃町)の名主森孫右衛門に永久に許可しました。

その後、寛永年間に鉄砲洲の干潟を佃の漁民に賜るに及び郷土の名をそのままに佃島と名付けました。安政五年(1858年)に棒手振りの青柳才助が日本橋呉服町稲荷新道において佃島漁民の雑魚の塩煮を『佃煮』と称して販売しましたのが佃煮の始めといわれております。



≪佃煮と鮒佐≫

鮒佐の創業は、下総國・船橋出身の大野佐吉により幕末の激動期の文久二年(1862年)に江戸は浅草見附外、浅草瓦町(現在の東京都台東区浅草橋)に店を構えました。 この時に佐吉が販売しました佃煮は、塩煮であった佃煮を独自な改良(種類ごとの素材に分け、当時まだ高級であった醤油を初めて使用するという斬新な発想)のもと現在の佃煮の原型を作り出しました。 これが鮒佐が「佃煮の元祖」といわれる所以でございます。

佐吉と佃島の塩煮との出会いは、隅田川河口に釣りに出た折に暴風雨に遭い佃島に避難した事によります。その当時佐吉は、江戸四宿の一つ千住の名物『鮒のすずめ焼き』等を商いとしていたところから『鮒屋佐吉』と呼ばれておりました。江戸では宿場町の土産品等は、売られていなかったそうです。




≪一子相伝の製法≫

鮒佐は創業以来佃煮一筋に初代佐吉のモット―である『家業に誠実たれ』を守り、職人に頼る事なく主人自らが釜前に立ち『一子相伝』の製法にて、昔と変わらず燃料に薪を使用しております。そして、初代『佐吉』の名を戸籍上から襲名をし現代五代目が製造しております。


鮒佐は支店売店がございません。
店舗の裏で製造したものを、店舗のみで販売することに徹しています。